自分は何故他人に厳しいのだろうか?
他人と接する時、この問いを自分に説いてみよう。
他人に厳しく接する理由など1つもないと気づく。
そして、自分と他人は、全く違うのだと気づく。
自分は何故他人に厳しいのだろうか?
他人と接する時、この問いを自分に説いてみよう。
他人に厳しく接する理由など1つもないと気づく。
そして、自分と他人は、全く違うのだと気づく。
結果はどうでもよい。
結果が出ないと不安になり文句を言いたくなる。
結果が出ないと、人は、幾千もの分岐を越えなければならない。
そして、幾千もの分岐を越えたとき、今の自分は、昔の自分と全く違っていると気づく。
それは、昔の自分では、想像もつかない世界が、目の前に広がっていると気づくのである。
結果が出ないときこそ、昔の自分を思い出してみよう。
そうすれば、今の自分が、どれだけ素晴らしいかに気づくだろう。
それに、気づけば、結果なんてどうでもいいじゃないかと実感できる。
善も悪もない。
そう思う心があるだけだ。
そう思う心は、生まれてから今までに、刷り込まれたものなのだ。
そこに気付けば、善も悪もない。
あるのは、全てを受け入れて、そこから何かに気づける心だけである。
真実かどうかはどうでも良い。
真実が正しいという思いがあると、真実が自分にとって辛くても、その辛い事をしなければならなくなるから。
自分にとって大事なのは、真実かどうかではなく、魂が揺さぶられるかどうかである。
自分の内心の震えに従うだけである。